大判例

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名古屋地方裁判所 昭和59年(行ウ)4号 判決

愛知県尾西市東五城字上出一七番地

内藤ふき方

原告

内藤ときを

右訴訟代理人弁護士

高野篤信

鵜飼源一

右高野篤信訴訟復代理人弁護士

石上日出男

愛知県一宮市栄四丁目五番七号

被告

一宮税務署長

中島隆

右指定代理人

畑中英明

加藤哲夫

和田正

辻中修

主文

原告の請求をいずれも棄却する。

訴訟費用は原告の負担とする。

事実

第一当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告が、原告の昭和五三年分の贈与税についてなした昭和五九年一月三〇日付更正並びに昭和五七年六月二九日付及び昭和五九年三月一三日付無申告加算税の各賦課決定をいずれも取り消す。

2  訴訟費用は被告の負担とする。

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨の判決を求める。

第二当事者の主張

一  請求原因

1  昭和五三年分の贈与税(昭和五八年一二月一四日付審査裁決により取消されるまでの昭和五四年分のそれを含む。)について、被告のなした決定、更正(国税通則法二六条に基づくもの。以下、「本件更正」という。)、無申告加算税の賦課決定(以下、請求の趣旨1項掲記のものを「本件各決定」という。)及び異議申立に対する決定並びに国税不服審判所長がした審査裁決等の経緯は、別紙のとおりである。

2  しかし、被告がした本件更正は、存在しない贈与を認定してなされた違法なものであり、したがつて、本件更正を前提とする本件各決定も違法であるから、原告はこれらの取消を求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1項の事実は認める。

2  同2項は争う。

三  被告の主張

1  訴外亡大島清吉(以下、「清吉」という。)は、原告に対し、昭和五三年一一月一日に金二〇〇〇万円、昭和五四年一月五日に金二〇〇〇万円、同年三月二日に金一〇〇〇万円をそれぞれ支払つた(以下、「本件支払」という。)。

2(一)  本件支払は、昭和五三年一〇月二〇日、原告と清吉との間に成立し、同月二七日、公正証書(以下、「本件公正証書」という。)が作成された、贈与者を清吉、受贈者を原告とする金五〇〇〇万円の贈与契約に基づくものである(以下、右月日に成立した契約を「本件契約」という。)。

(二)  本件契約が贈与契約であることは、左記の事情から明らかである。

(1) 本件公正証書は、「贈与契約公正証書」と題されている他、その記載の要旨は次のとおりであり、これらの文言、内容に照らすと、本件契約は贈与契約という他ない。

(ア) 本文

第一条 昭和五三年一〇月二〇日贈与者清吉は、株式会社十六銀行尾西支店普通預金口座の贈与者名義の預金より金五〇〇〇万円を無償で受贈者原告に贈与することを約し、受贈者は受諾した。

第二条 贈与者は、直ちに株式会社十六銀行尾西支店に通知し、受贈者に対し前条で贈与した金五〇〇〇万円が受贈できるよう措置することを約諾した。

第三条 贈与者が本証書記載の債務を履行しないときは、直ちに強制執行を受けても異議ないことを認諾した。

(イ) 当事者

贈与者 清吉

右代理人 笠原清

受贈者 原告

(2) 本件公正証書作成の経緯は次のとおりであり、これに照らしても同証書中の記載が虚偽であると疑うべき余地は全くなく、したがつて、本件契約は、まさしく贈与契約であることが明らかというべきである。

即ち、本件公正証書作成は、その約一か月前に、清吉が原告に対し、金五〇〇〇万円をあげると言い出し、そのころ清吉の取引銀行であつた訴外株式会社十六銀行尾西支店の次長であつた訴外笠原清(以下、「笠原」という。)を自宅に呼んで、「わしも年をとつたし、これ(原告)にも、なにかしてやらないかん、五〇〇〇万円やろうと思うがどうじや。」と相談をもちかけたことに端を発し、笠原もこれに賛意を表したので、清吉の指示で笠原と原告とが一宮市所在の公証人役場に赴き、公証人と相談の結果、贈与契約が適切である旨の助言を得た。そして、贈与の公正証書作成嘱託の委任状に清吉が署名捺印した後、原告は、清吉から代理人に指名された笠原と共に右公証人役場へ出頭のうえ、本件公正証書の作成を嘱託するに至つたものである。

(3) 清吉と原告の関係は、大要次のとおりであつた。

(ア) 原告は、昭和一〇年ごろ、清吉の経営する艶清興業の事務員として雇われ、間もなく同人と情交関係を持ち、その後昭和二三年に同所を退職し、独立して婦人服の仕立てにより生計を維持しながら、長期間にわたり同人との関係を継続し、この関係は清吉死亡の少し前まで続いた。

(イ) 原告は、右独立の少し前である昭和二二年ころ、清吉から尾西市内の土地約一三二平方メートルとその地上の家屋約一三二平方メートルの贈与を受け(登記上は、土地につき売買名目でその所有権移転登記をなした。)、以後同所で生活を送つてきた。

(ウ) 原告は、昭和五〇年二月ころから、自己が病に倒れ入院した昭和五四年四月までの間、右の居宅から通つたり、清吉宅に住み込んだりして、同人宅の家事や同人及び同人妻である訴外大島とく(以下、「とく」という。)の看護に従事していた。

(エ) 原告は、昭和五一年一二月一日及び昭和五二年六月一五日、やはり清吉から右の土地、建物に隣接する宅地合計約一一八九平方メートルの贈与を受けた。これらの贈与については、原告はその都度、贈与税の申告、納税を行つている。

右のとおり、清吉と原告が極めて長期間にわたり親密な関係を続け、その間お互いに援助、世話をし合つてきたことから、多額の資産を有しながら既に高齢となつた清吉が、従前の原告との関係に基づいて、その財産の一部を原告に贈与し、その行為に報いることは、何ら不自然でも不合理でもない。現に、清吉は、本件公正証書作成の約一年ないし二年前に前記(エ)掲記の宅地の贈与をなして原告のこれまでの行為に報いており、原告も右財産につき贈与税の申告、納税を行つていることに鑑みれば、その後同人らの関係に特段の変化のない状況の下でなされた本件契約とその支払が、贈与契約でありその履行と解することは、当事者の意思にも合致し、社会常識的にも妥当性を有するというべきである。

(三)  原告は、本件支払は、慰籍料、立替金、家事労働報酬、付添看護の報酬として支払われたものであり、財産分与的性質も併せ有すると主張するが、以下に述べるとおり、これらは誤りである。

(1) 原告の主張は、原告と訴外大島薫(清吉の訴訟承継人。以下、「薫」という。)らとの名古屋地裁一宮支部昭和五四年(ワ)第一二二号不当利得返還請求事件(以下、「別件」という。)において成立した和解調書(以下、「本件和解調書」という。)中に、

「清吉が原告に対し、原告が昭和一〇年頃以降昭和五三、四年まで約四五年の長期間に亘り清吉の使用人もしくは内縁関係にあつた立場として、誠実に尽したることについて、

(ア) 昭和五三年一一月一日、慰籍料として金二〇〇〇万円

(イ) 昭和五四年一月五日、立替金等の弁済として金一〇〇〇万円、及び清吉個人の家事に従事した報酬として金一〇〇〇万円

(ウ) 同年三月二日、付添看護費用として金一〇〇〇万円

をそれぞれ支払つたことを確認する。」

旨の文言が存することを根拠の一つにしているが、本件和解調書中の、慰籍料、立替金等、家事に従事した報酬及び付添看護費用との記載は、いずれも内容が抽象的で、金額的にもおおまかなものとの印象を即座に受けるものである上、そもそも、原告は、別件の訴訟手続の中においては、準備書面などにより、本件契約が「贈与契約」である旨の主張、供述を繰り返していたものであり、本件支払が慰籍料等、和解調書中記載の原因に基づく給付であつたとの主張は全く行つていなかつた。

また、本件和解に至る経緯は以下のとおりであり、これに照らすと、本件和解調書で付けられた名目は、いずれも本件支払が贈与と認定されることに伴う贈与税を免れんとする目的から、和解の場を利用して、贈与以外と認定され易い名目を、便宜上、借用したものにすぎず、その各名目ごとの金額そのものも、適当にあんばいしたに過ぎないといわざるをえない。

即ち、被告は、昭和五六年一一月四日から本件贈与税についての調査を開始しており、原告としても、本件支払が贈与と認定される暁には、相当多額の贈与税の徴収を受けることになると認識していた状況の下において、清吉死亡後、別件を承継した薫らは、右訴訟の早期解決を希望するに至つていたところ、原告(別件被告)訴訟代理人弁護士から、現在の状態だと原告側は金三〇〇〇万円以上、場合によつては全額贈与税と重加算税によつて支払わざるを得ないことになるから、税金対策で薫らの協力が得られるならば金一〇〇〇万円を支払うことで和解に応じてもよいという意向が伝えられた。その税金対策としての協力の内容は、原告が既に受領済みの金五〇〇〇万円の内訳を、

(ア) 金二〇〇〇万円を 原告が、四五年間清吉の家事使用人として働いたことによる退職金

(イ) 金一〇〇〇万円を 原告が、四五年間日陰の女に甘んぜざるを得なかつた慰籍料

(ウ) 金一〇〇〇万円を 未払給料五年間分

(エ) 金五〇〇万円を 清吉と、とく二人分の看護料二年分

(オ) 金五〇〇万円を 訴訟解決金

とすることであつた。

薫らは、約金一〇〇〇万円の支払が確保できるなら、不当利得として回収できず、原告のものと確定する金五〇〇〇万円の名目には、特にこだわる必要もないと考えて、和解に応ずることにしたが、最終的な和解調書では、

〈1〉右(ア)の退職金なる名目が、消失したこと、〈2〉(イ)の慰籍料金一〇〇〇万円が、倍増の金二〇〇〇万円と振り分けられたこと、〈3〉(ウ)の未払給料が報酬と名目を変えたこと、〈4〉(エ)の看護料が倍増の金一〇〇〇万円と振り分けられたこと、〈5〉(オ)の訴訟解決金が消失したこと、〈6〉従来要求されていなかつた立替金等弁済の名目で金一〇〇〇万円が計上されたこと

など、その名目の不自然な増減、新設、消失が行われている。

(2) 原告の主張する各種請求権は、以下のとおり、実質的にも存しない。

(ア) 慰籍料について

原告の主張する慰籍料が、不法行為に基づくものか、債務不履行に基づくものか定かではないが、原告と清吉とは昭和一〇年ころから清吉死亡の少し前ころまでにわたり、いわゆる妾関係が継続してきたものであり、本件契約時及びその支払時点において、別れ話が存在したわけでもない。このようなことからすれば、特段の事情がない本件では、不法行為による慰籍料請求権が発生する余地はない。また以上のような両人の関係からは、債務不履行に基づく請求権もその発生を認めることはできない。

(イ) 立替金等について

立替金請求権については、原告は、別件においても、また、本訴においても、何らその具体的な主張、立証をしていない。

(ウ) 家事労働報酬について

清吉と原告の前記関係からすれば、清吉に対する原告の行為は、通常の家事使用人のように雇用契約に基づく報酬の受領を前提としたような行為ではなく、両者の関係から自然に生じた行為であるという他なく、その間に明確な契約や債務承認等の行為が存する場合は格別、そうでない限り、右のような請求権としては認識されないのが社会的常識というべきところ、本件においては、右請求権の根拠たるべき明確な契約等が存在しないから、本件支払を、原告の提供した労務、役務に対する対価の支払とみるべき余地は全くない。

(エ) 付添看護費用について

清吉に対する原告の行為は、原告と清吉との関係に基づく自然な行為であつて、職業的看護人等のように報酬を前提とした看護とは全く性質が異なるものであり、加えて前記(ウ)と同様の理由から、原告が受領した金員を付添看護の費用と認めることはできない。

(オ) 財産分与的性質について

原告は、本件支払が財産分与的性質を併せ持つと主張するが、いわゆる内縁関係解消の場合にかかる請求権が生ずべきことがあり得るとしても、清吉には当時、配偶者として「とく」が存在しているから、清吉と原告の間が法律上の婚姻関係に準じて保護されるべき「内縁関係」にあつたものとは到底認め難いばかりか、そもそも、内縁関係はもちろん、法律上の婚姻関係においてすらも、その間の財産の分与に「贈与」とは別個の法律効果が与えられるのは、その婚姻(ないし夫婦関係)が解消される場合に限られているのであつて、法律上、原告と清吉の間の関係が継続中になされた本件支払が財産分与請求権に基づくものとみるべき余地は全くない。

3(一)  前記のとおり、原告の昭和五三年分贈与税の課税価格は、相続税法二一条の二第一項の規定により、金五〇〇〇万円であるところ、右課税価格から相続税法二一条の五の規定に基づき、贈与税の基礎控除金六〇万円を控除した残額金四九四〇万円に同法二一条の七に規定する税率を適用して、原告の納付すべき昭和五三年分の贈与税額を計算すると、金二九八八万五〇〇〇円となる。

(二)  ところで、原告は贈与税の申告をしなかつたので、被告は国税通則法二五条の規定に基づき、当初、原告の昭和五三年分贈与税の課税価格を金二〇〇〇万円(昭和五四年分のそれを金三〇〇〇万円)、贈与税額を昭和五三年分金九六九万五〇〇〇円(昭和五四年分金一六一六万五〇〇〇円)と決定するとともに、同法六六条一項の規定に基づき右決定により納付すべき税額に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した無申告加算税昭和五三年分金九六万九五〇〇円(昭和五四年分金一六一万六五〇〇円)を賦課決定し、昭和五七年六月二九日付で原告に通知した。

その後、昭和五四年分の贈与税決定及び無申告加算税賦課決定が審査裁決によつて取消されたのに伴い、昭和五三年分の贈与税の課税価格及び贈与税額が過少であることになつたので、被告は、国税通則法二六条の規定に基づき、右決定に係る贈与税の課税価格及び贈与税額をそれぞれ金五〇〇〇万円及び金二九八八万五〇〇〇円と更正し、昭和五九年一月三〇日付で原告へ通知した。

また国税通則法六六条一項二号の規定に基づき、右更正により新たに納付すべき税額金二〇一九万円に一〇〇分の一〇の割合を乗じて計算した無申告加算税金二〇一万九〇〇〇円を賦課決定し、昭和五九年三月一三日付で原告へ通知した。

右のとおり、本件課税処分は正当であり、原告の請求には理由がない。

四  被告の主張に対する原告の認否

1  被告の主張1項の事実は認める。

2  同2項の事実は否認する。

本件支払は、慰籍料、立替金、家事労働報酬及び付添看護の報酬としてなされたものであり、財産分与的な性質も併せもつものであつて、そこには対価関係が存在するから、無償を前提とする贈与契約に基づくものではない。

(一) 清吉と原告の関係は、次のとおりであつた。

(1) 清吉は明治三一年七月生、原告は大正五年一二月生、つまり二人は一回り以上の一八歳違いであるが、昭和一〇年ころ、当時一八歳の原告は、清吉が艶清興業の屋号で営んでいた織物の整理染色店に、最初の事務員として勤務した。

(2) ところで、清吉は、もと三星というやはり織物の整理店から独立して、裸一貫自己の商売を創業したものであり、二九歳のとき、今の尾西市の小信という織物屋の娘とく(明治三三年三月生)を貫つたが、同女は、知能が低く、商家に生まれながら、そろばんができず、炊事等も満足にはできなかつたうえ、子供もできなかつた。しかし、清吉はなかなか嫁の来手もないために、知能の劣ることを承知でとくを貫つた訳で、その婚姻は初めから円満ではなかつた。

(3) 原告が艶清興業に勤めてから間もなく、帰宅時間が遅くなることが時々あつたので、母のかなは清吉に苦情を言つたりしたが、なお遅いことがあり、ある日、原告を迎えに行つた際、清吉が原告を送つて来たのに出会い、不審に思つて問い質したところ、整理染色組合の会合出席のためと称して下呂温泉へ行つた際、清吉に手ごめにされたことを原告は初めて打ち明けた。

母は、二人の中は認めないと清吉に怒つたが、清吉は、「離れられない、絶対捨てん、わしにくれ、最後まで面倒を見る。」と言い、さらに原告も「他所へ嫁げる体ではなくなつてしまつた。ついて行く。」と言つて、関係を清算することを拒絶した。

(4) その後、原告は、昭和二二年ころまで、自宅から清吉宅へ通い、営業の手伝いや女中仕事をこなしつつ、外で清吉と逢瀬を重ねていたが、同年以後は、清吉の建てた家に移り住み、同時に艶清興業を退職して内職により生計を維持することになつた。

(5) 清吉は、毎週二回程度、原告方へ泊まり、しばしば昼食や夕食を共にした他、毎月一回は参拝に赴いた伊勢神宮や、滋賀県の多賀大社、岐阜県の谷汲山、国府宮などに原告を同道するなどして関係を継続していたが、二人の間に子供はできず、しかもそれは清吉に原因があるらしく、原告に対し、時々、「お前にはすまない。」と漏らし、他方、子供のない寂しさを訴えることもあつた。

もつとも、清吉は、金銭には細かく、原告にも飲食費を渡すのみで、他に手当を与えることはなかつたので、かなが見かねて苦情を述べたこともあつたが改善されることはなく、控え目でおとなしい原告は、ただ、清吉は先には決して悪くはしないと信じて、これに従つていた。

(6) やがて昭和五〇年二月ころになつて、清吉が七六歳に達し数年前から通風を患つていたこと、とくも食べる他は毎日ぶらぶらしていて奇行を繰り返す状態であつたこと、女中が辞めて後任が見つからないこと、などから、原告は清吉宅に通いの女中として働くことになり、朝六時に家を出て夜七時過ぎに帰宅する毎日を送るようになつたが、この間、食事、洗濯、着替えなど、夫婦の身の回りの世話一切を行い、清吉のわがままな性格、とくの病的状態から、その苦労は他の者では到底辛抱しえないものであつた。

(7) 原告は、昭和五二年四月ころから、住み込みの女中として働くようになり、通風と老齢のため、転倒したのを機に動けなくなり、かつ下痢のためオムツをあてて寝たきりになつた清吉と、狂人のとくの二人の世話を一身で引き受けることとなつた。

(二) 以上のような経緯からみて、本件支払には次のような性格を帯びるというべきである。

(1) 慰籍料

原告は、当初、手ごめ同然に清吉と関係を結ばされたものであり、日陰者として生きざるをえなかつたこと、子供をえられなかつたこと、経済的に恵まれなかつたこと、などの一連の負の人生は、清吉によつて決定されたのであり、他方、清吉も、原告の人生を決定したのは自分の責任であるとの意識があつたので、常々、「お前の一生を棒にふらせてしまつた。」、「先には悪いようにはせん。」と述べていた。原告も、清吉のこうした意識及び将来物質的に報われるとのかすかな期待によつて、関係を継続してきたものであり、このように、両者の関係は、一面においては良好ながら、他方、不満、不安、心痛に絶えずつきまとわれる負の面もあつたのであり、清吉の実質的な妻として長年内助を怠らなかつた原告にとつて、大成功を収め、輝かしく陽のあたる清吉との落差はあまりに大きく、その精神的な苦痛は計り知れないものであり、このような人生は、「傷物」といつた道徳観念の横行していた昭和一〇年ころの時代背景を考慮すると、原告が任意に選択したものではなく、強いられたとの意識を感じざるをえなかつたのである。

(2) 家事労働の報酬及び付添看護の報酬

前記のとおり、病人である清吉及びとくに対する看護の苦労を考えれば、本件は、単に自然の情愛による行為と同一に論ずることはできない。原告の行為は、むろん愛情に基づく面のあることは否定できないが、それ故に無償性が安易に肯定されるべきものではない。

(3) 財産分与

原告と清吉との関係は、古くはいわゆる「妾関係」と称されるものであつたが、その後の両者の生活の実態等から考えると、重婚的内縁と見られるべきものである。

ところで、内縁の場合には、その解消のときに財産分与請求権が認められることは判例であるところ、本件公正証書の作成時においては、清吉が病床に伏し、かつ満八〇歳という高齢に達している事実を考えたとき、同人の死亡という形で原告との内縁関係が解消される時期がそう遠くはないことが懸念される状態にあつた。むろん、内縁の妻に過ぎない原告には当然相続権ある筈もなく、清吉に万一のことがあると原告とししては、それまでの内助の功、付添看護、家事労働等が何等報われるところがない状態を迎えざるをえなかつた。こうした背景があつて、清吉は原告に本件公正証書を作成したものであり、本件は、妻に対する財産分与と同様の実質を有している。

なお、本件の金額の多さについてであるが、一般に離婚における財産分与の課税実務は、「財産の分与によつて取得した財産は、贈与により取得した財産とはならないのであるが、その分与にかかる財産の額が婚姻中の夫婦の協力によつて得た財産の額その他一切の事情を考慮してもなお過当であると認められる場合は当該過当である部分(中略)は、贈与によつて取得した財産として取扱うもの」(相続税基本通達六二)とされている。

しかるところ、清吉は多くの不動産を所有し、さらに現金、預金、株券等を保有していたが、こうした財産形成には妻のとくは実質的には全く貢献するところなく、むしろ原告の内助の功、家事労働や精神的な支援があつて形成し得たものであるから、原告の受領した金五〇〇〇万円はおよそ過当なものでないことも明らかである。こうした場合に贈与としないのは、財産分与の性質につき、清算説、扶養説、損害賠償説、折衷説等の諸説があるが、要は夫婦の実質関係に着目して、有償性を認めることを妥当とするからであり、財産分与の性質は一義的に定め難いが、理由付けがいかなるものにせよ、本件もまたそうした有償性を認めることを妥当とする実質関係を十分もつている。

原告の右各主張が正当なことは、裁判所の監督下において成立した本件和解調書上に記載された和解条項によつても明らかである。

なお、別件において原告側は、いかに清吉らの看護に貢献したか、日陰者として苦労したかを詳細に主張していたところ、別件の争点は有償、無償の点にあつたのではなく、本件支払の法律上の原因の有無にあつたから、当初は有償性を十分に検討することなく、本件公正証書の記載に従つて贈与たることを選択、主張したにすぎず、最終的な和解の段階で、法律上の性質の誤りに気づいた原告は、真実に合致させるべく和解条項を補正したものである。

(三) 被告の主張は、本件公正証書上の文言を根拠の一つにしている。

なるほど、本件公正証書の文言は「贈与」であつたが、当事者の意思を正しく解釈すれば、この文言にとらわれるのは形式的に過ぎる。即ち、右に述べた財産分与的性質並びに原告の提供した労務、役務に対して、清吉は法律上の義務として確定されたものではなかつたが、報償の正義に基づいて原告の労務等の対価、慰籍料を払おうとしたと見られることを考えれば、本件契約は公正証書の贈与文言にも拘わらず有償の合意たるを妨げない。

一体に、この種事案において被告主張のような贈与認定を許すと、例えば原告が労務の対価、慰籍料等を求めて訴訟を提起し、その訴訟で清吉の義務が確定すれば贈与とならず、本件のように清吉がそうした紛争を待つまでもなく、原告の貢献、苦痛等に理解があつて、しかも素人の悲しさから「贈与」と誤り記載した契約書を作成した場合には贈与となるという結果を招くことになり、極めて不当である。

本件は、実質に即して見るとき、清吉が原告に金銭を支払うことを妥当とする事案であつて、無償と認定することは著しく正義に反する。

被告は、また、本件支払以前に清吉が原告に宅地等を贈与したことをもつて、その主張の根拠とする。

しかし、かつて贈与がなされたからといつて、今回も事情の変化がない限り贈与と推認すべき経験則は存しない。金銭の移動ないしその支払いはその時々にことなつた事情があるのが通常であつて、本件が以前の宅地贈与の際に併せて約束されたというような事情があれば格別、全く別の時期である以上、被告の推認は基本的に誤りである。

かえつて、従前の宅地等の贈与は、対価関係が存しないのであるから、原告の貢献や慰籍料などの要素を考慮したものとはいえず、法的評価としてはこれらに「報いた」ことにならないから、本件支払の有償性を主張することは、従前の贈与と矛盾するものではない。

3  同3項(一)、(二)はいずれも争う。

五  原告の反論

1  本件更正は、禁反言法理に違反する違法なものである。

即ち、本件更正は、国税通則法二六条に基づき、決定後に税額の過少を知つたときに当たるとして行なわれたものであるが、更正決定の行政行為としての法的性質は、「確認行為」に当たるものとされているところ、確認行為は、「既存の法律事実または法律関係の存否を公の権威をもつて確定し、宣言する行為」と定義されるので、同条の「税額の過少を知つたとき」とは、税法の適用の前提となる法的事実又は法律関係に関する課税者における主観的な変化に基づいて税額の過少を来す場合を意味する。

そこで本件を見るに、被告は昭和五七年六月二九日時点で次の三つの事実を認識していた。

(一) 昭和五三年一一月一日に、原告が清吉から金二〇〇〇万円を受領したこと。

(二) 同じく、昭和五四年一月五日に、金二〇〇〇万円、三月二日に金一〇〇〇万円を受領したこと。

(三) 右金銭受領ないし清吉から原告への金銭支払は、昭和五三年一〇月二七日付、贈与者を清吉、受贈者を原告とする本件公正証書に基づくものであること。

ところが、本件更正をなした昭和五九年一月三〇日時点でも、被告の右三点の事実に関する認識は変化しておらず、単に右前提事実に対する法的評価が変化したにすぎない。

そうすると、昭和五七年六月二七日の決定は、先の三つの事実を知りながら、敢えて二年度にまたがる贈与として課税したものであつて、本件更正はこの評価を変じたものに過ぎず、事実自体にはなんらの変化も生じていないから、同法二六条所定の要件を満たさない。

さらに、実質的に見ても、当初の決定時点で被告は本件支払全体を一つのものとして評価することは放棄したものであり、この法的判断は原告に有利であるから原告は行政庁を信頼してこの部分に対する不服申立をなさなかつたところ、このような状況で法的判断自体を覆すことは、法が事実の変化に基づいてのみ更正を認め、そのように更正の事由を限定することによつて達成せんとした法的安定性の要請を損なうのみならず、原告の期待ないし信頼を踏みにじるものであり、禁反言の原則に反する違法なものというべきである。

2  本件更正は、不利益変更禁止の法理に違反する国税不服審判所の裁決に基づくものとして違法である。

即ち、国税通則法九八条二項は、裁決主文において審査請求人に不利益な変更をすべきでなく、さらに実質的にも不利益な結果をもたらしてはならない旨定めているところ、審査請求人たる原告は、課税時期について、本件和解の成立した昭和五七年四月二一日の属する年分とすべきである旨主張していたのであるから、審査庁としては右主張の当否を審査すべきであつたにも拘らず、昭和五八年一二月一四日付裁決は、一年度における贈与として昭和五三年度における金五〇〇〇万円の贈与に対する課税をすべき旨、理由中で判断し、被告がこれに基づいて本件更正をなした結果、従前の課税処分より原告に不利益をもたらすこととなつたものであり、右は、処分を受けた国民の不利益を救済するための制度である不服審査手続の趣旨に明らかに反している。

六  原告の反論に対する被告の認否

1  原告の反論1項は争う。

国税通則法二六条は、当該税務署長において更正等に係る「課税標準等又は税額等」が過大・過少であることを知つたときにはすべてこれを更正(再更正)する旨規定しているのであつて、右更正をすべき場合を条文上特に課税標準等又は税額等、算定の基礎とされた事実に誤りを認めた場合に限定しているわけではない。

また、そもそも同条の立法趣旨は、国民に対する課税が常に法律に則り、同一の課税対象に対しては過不足なく厳正・公平に実施されるべきことに鑑み、いつたん課税決定がなされた場合においても、それが客観的に法律に反するものであればその是正を課税機関の裁量に委ねることなく、これを一律に行うべきこととした点にあると解されるのである。かかる立法趣旨に照らせば、課税の基礎となる事実の認識に誤りがあつたことによると、これに対する法的な評価に誤りがあつたことによると、はたまた、右の事実の認識や法的評価には誤りがなく、単に計算上の誤りがあつたことによるとを問わず、結論的に課税標準等又は税額等の算定結果に誤りのあることが判明した場合には、いずれも同様に更正をなすのが当然であるといわなければならない。

また、法に則つた厳正・公平な課税が行われるべきであるとの要請が極めて強い租税法の分野においては、仮に禁反言の法理ないし信義則の適用があり得るとしても、それはごく限定的に認められるべきであり、殊に、同条についていえば、単に原決定が覆されること自体を理由として安易に禁反言の法理が適用されることになれば、前記のような条文が設けられた意味自体がなきに等しくなるものであつて、そのような解釈は到底とり得るものではないというべきである。確かに原決定等がなされた後、長期間を経過してから、これを覆して更正を行うことは、納税者に不測の影響を及ぼす場合もあり得なくはないといえようが、国税通則法は、更正についても比較的短期の除斥期間を設ける(同法七〇条三項)ことによつて、予めその点の利害の調整を図つており、本件のごとく除斥期間内に適法に行われた更正の効力をたやすく否定することは、法の趣旨に反し許されないといわなければならない。

2  同2項は争う。

第三証拠

本件記録中の書証日録及び証人等目録記載のとおりであるから、これらを引用する。

理由

一  請求原因1項の事実(課税の経緯)は当事者間に争いがない。

二  そこで被告の主張について判断するに、同1項の事実(本件支払がなされたこと)は当事者間に争いがないので、結局、本件の中心的争点は、右支払が贈与契約に基づくもの(被告主張)か、慰籍料、立替金等、家事労働報酬及び付添看護の報酬ないしは財産分与として支払われたもの(原告主張)か、に帰着するところ、いずれも成立について争いのない甲第一一ないし第一四号証、第一八ないし第二四号証、第三四号証、乙第一号証の一、二、第六号証の一、二、いずれも原本の存在及び成立とも争いのない乙第二号証の一、二、第三ないし第五号証、いずれも弁論の全趣旨により真正に成立したものと認められる甲第一五、一六号証、乙第七号証及び証人内藤ふきの証言を総合すると、

1  原告(大正五年一二月一日生)は、昭和一〇年ころ、艶清興業の屋号で織物の整理染色店を営んでいた清吉(明治三一年七月九日生)の工場へ事務員として勤めはじめたが、ほどなくして、組合の会合名下に下呂温泉へ同行を求められた際、無理矢理、同人との男女関係を結ばされるに至つた。

当時、清吉には、昭和三年三月一四日に入籍した正妻とく(明治三四年三月一六日生)がいたが、同女が十分に家事等をこなせないこともあつて、清吉は原告との関係継続を強く望み、原告もまたこれを承諾して、事務員として通う傍ら、情人としての生活を歩むこととなつた。

2  原告は、昭和二二年ころ、清吉より、尾西市三条字大平所在の土地約一三二平方メートルとその上の新築建物の贈与を受けたのを機に事務員を辞め、手内職(洋裁)による収入と、清吉からの食費をもつて生計を維持するとともに、清吉との関係を継続し、神社仏閣への参拝の際には公然と同道するなどして生活を送つていたところ、昭和五〇年二月ころになつて、清吉宅の住み込み女中が辞めて後任が決まらないことから、清吉より家事手伝を依頼され、その以後、朝七時ころから午後九時ころまで、清吉宅で同人夫婦の身の廻りの世話をするべく通勤する日々が続いた。

その後、昭和五二年二月ころになつて、痛風が悪化して寝込むことが多くなつた清吉から、同人宅へ住み込むよう求められたので、原告は自宅を出て清吉宅へ泊まり込み、同人と脳軟化症のため異常な行動を示すことの多かつたとくの世話をしながら三人で生活をするようになり、対外的にもとく以上の働きを示して内縁の妻類似の評価を得ていつた。

3  清吉の事業は、創業以来、多少の曲折を経ながらも順調に発展し、昭和二五年には株式会社組織に改編して尾西地方の実業界に重きを置くとともに、不動産その他の多額の資産を形成したものの、とく、原告その他の女性との間に子供を得ることができず、やむをえず薫ら五名と順次養子縁組をなし、やがて会社の代表権も薫に譲渡したが、経理その他については晩年に至つても関心を有し、適宜、報告を求めるなどしていた。

4  清吉は原告に対し、昭和五一年二月一日と昭和五二年六月一五日の二回にわけて、前記土地に隣接する宅地合計約一一八九平方メートルを贈与し、原告は、その課税評価額金四二〇万円余及び金四三三万円余に対応する各贈与税額金一〇二万円余及び金一〇七万円余を各申告、納付していたが、さらに昭和五三年夏ころ、清吉は原告に対し、急に「五〇〇〇万円をやる。」と言い出し、その具体化のために取引銀行の担当者を呼ぶこと、養子らとの紛議を避けるため、確実な書類を作成すべきこと、を指示した。

そして、原告より電話連絡を受けた十六銀行尾西支店の笠原支店次長が、清吉に対し公正証書の作成を提案したところ、清吉の代理人となることを依頼されたので、同年九月ころ、原告と右笠原が清吉の意思を確認すべく同人宅へ赴き、尋ねると、即座に「やる。」「俺の金は全部お前(原告)にやる。」などと言明したので、右依頼を承諾し、原告と共に公証人役場を訪れて、「清吉が原告に五〇〇〇万円をやるといつているが、どうしたらよいか。」と尋ねたところ、同公証人は、「贈与者清吉名義の銀行口座から金五〇〇〇万円を贈与する。受贈者原告は右贈与を受諾した。」旨の契約につき公正証書作成嘱託に関する権限を笠原に委任する内容の委任状の文案を示したので、原告らはこれを持ち帰り、清吉本人の手によつて右委任状が作成された後、再び公証人役場に赴き、公正証書の作成を嘱託した結果、同年一〇月二七日、本件公正証書が作成された。

その後、笠原は、原告より所要の書類等を受け取つて、同年一一月一日に金二〇〇〇万円、昭和五四年一月五日に金二〇〇〇万円、同年三月二日に金一〇〇〇万円につき清吉の銀行預金の払戻手続を行うと共に、新たに同額の原告名義の預金通帳を作成し、これを同人に交付した。

5  ところが清吉は、昭和五四年ころ、原告に対し、金六〇〇〇万円(前記金五〇〇〇万円に、別の機会に名義移転された大垣共立銀行尾西支店の預金一〇〇〇万円を加えたもの)の不当利得返還請求訴訟を名古屋地裁一宮支部に提起し(以下、別件訴訟」という。)、同年八月三〇日に同人が死亡した後は、相続人であるとく他四名(その後、とくも死亡。尚、その中心は薫。)が訴訟を承継したが、右別件訴訟において本件原告(別件訴訟では被告)側は、清吉の愛人になつた経緯やその後の労苦に報いるべく、清吉より贈与を受けたものである旨の主張をなし、本件原告本人もこれに沿う供述をなして争つた。

一方、被告は、昭和五六年一一月ころ、清吉にかかる相続税の調査を行う中で、本件支払の事実を掴み、原告に対する贈与税の調査を開始し、同月一二日には担当者が別件訴訟の口頭弁論を傍聴したところ、当時、本件原告の代理人であつた三宅厚三弁護士よりその目的を問われ、右税務調査の一環である旨の説明をなした。

ところで、別件訴訟では、別訴原告の地位を承継した薫らが、訴訟の早期解決を図る目的で、本件原告に対し和解の申し入れをしていたのが、このままでは金三〇〇〇万円以上の贈与税及び加算税の賦課が避けられないと憂慮した本件原告側は、課税を避けるための協力が得られることを条件にこれに応ずることとし、双方の代理人が交渉した結果、本件原告側は、前記大垣共立銀行の預金一〇〇〇万円につき薫らの権利を認めること、残金五〇〇〇万円については、慰籍料、家事使用人としての未払給与、退職金、清吉夫婦に対する看護料及び訴訟解決金の名目(内訳は、被告の主張2項(三)(1)記載のとおり)で本件原告に交付したことにすること、などの内容から成る案を提示し、更に交渉を煮詰めて、最終的に、慰籍料として金二〇〇〇万円、立替金等の弁済として金一〇〇〇万円、家事労働に対する報酬として金一〇〇〇万円、付添看護費用として金一〇〇〇万円、合計金五〇〇〇万円を清吉が原告に支払つたことを確認する旨の和解案がまとまり、代理人が当事者を説得した結果、当初、本件原告が立替金を支出したことはその資産内容からみてありえないとして難色を示した薫も、和解不調の事態を避けるため、これに応ずることとし、昭和五七年四月二一日、本件和解が成立した。

以上の事実が認められ、これを覆すに足りる証拠はない。右事実によれば、本件支払は、清吉が突然、「やる。」と言い出したことに端を発したものであるところ、当時、同人と原告との間には、法律上、これと対価関係に立つ反対給付が何ら予定されていなかつたこと。それ故にこそ、清吉は養子らとの紛議を心配せねばならなかつたこと、本件公正証書作成に関与した笠原、公証人さらには委任状を自ら作成した清吉自身も、本件支払が贈与契約に基づくものであることを前提に行動し、これに些かの疑念も表明することがなかつたこと、現に別件訴訟における本件原告側の主張、立証も、これに沿うものであつたこと、以上の事情が明らかであつて、これらを総合すれば、本件支払は清吉から本件原告に対する贈与に該当すると認めることができる。

原告は、この点につき、原告が清吉の愛人になつた経緯、その後の経過に照らすと、本件支払は慰籍料、家事労働及び付添看護の報酬、立替金などの支払たる性質を有すると主張する。しかしながら、授受の当事者である原告及び清吉が、当時そのような意識を有していなかつたことは前認定のとおりである他、当初の事情はともあれ、その後、数十年間にわたり、原告と清吉の関係は、大きな波瀾もなく、一種の内縁関係として平穏に継続しているのであつて、また、昭和二二年ころ、昭和五一年ころ及び昭和五二年ころの三回にわたり、原告は清吉から相当高額な不動産を贈与されているのであるから、その後において、清吉が原告に対し、不法行為をなしたことを理由として慰籍料を支払うべき必然性は全く認めることができないこと、原告が清吉宅の家事に従事し、また清吉夫婦の看護にあたる際に、報酬等の支払が約された事実は全くなく、むしろ、前認定のような清吉と清吉間の長期かつ安定した関係に照らせば、原告の行為は、右関係から生じた情愛に基づくものと解するのが合理的であること、立替金については、これに沿うかの如き証人内藤ふきの証言もあるが、他にこれを証すべき明確な証拠は存しないのみならず、前認定の原告の境遇、資力、清吉の資産状況等からみて疑念を払拭することはできない(薫も前掲乙第六号証の一中で、同様の供述をなしている。)ので右証言はにわかに措信できないこと、などからみて原告の主張は到底採用しがたいといわざるをえない。

原告は、また、本件支払は財産分与たる性格を有するとも主張する。なるほど、内縁の妻に財産分与請求権を認めうるか否かは一つの法律問題であり、また、原告の地位は、前認定事実に照らすと、単なる愛人にとどまるものではなく、重婚的な関係にはあるものの実質上の内縁の妻に近いと考える余地の存することは否定できない。しかしながら、いずれにしても、財産分与は両者の関係を解消する際にはじめて観念されうるものであるところ、本件支払の際に右解消の徴候が全くなかつたことは前認定のとおりであるから、前記原告の主張も採用できないといわざるをえない。

更に、原告は、本件支払が贈与契約に基づくものではなく、前記慰籍料等の性格を有することは、裁判所の監督下において成立した本件和解調書の文言からも認められて然るべきである旨主張する。しかしながら、本件和解調書の記載内容が、何ら実体関係を反映したものではなく、専ら贈与税の捕捉を免れる目的で、別件訴訟において、当時の本件原告側代理人らが創案した便宜上のものにすぎないことは前認定のとおりである。そして、被告による課税が、あくまで実体上の事実に従つてなされるべきものであり、これを反映しない以上、仮に当事者間に司法機関の作成にかかる公文書(便宜上、作られた和解調書、馴れ合い訴訟による判決など)が存在したとしても、何らの拘束力をも有しないことは論を俟たないので、原告の主張は採用できない。

三  しかして、前認定の事実に鑑みれば、遅くとも本件公正証書の作成された昭和五三年一〇月二七日に贈与契約が成立し、これによつて原告は清吉に対する金五〇〇〇万円の債権を確定的に取得したものと認められるから、贈与税の課税の時期は全額について昭和五三年分とするのが相当であり、これを課税価格として相続税法二一条の五、同条の七を適用すると、原告の納付すべき贈与税額は金二九八八万五〇〇〇円になる。

また、原告が正当な理由なく贈与税の申告をなさなかつたことは、原告において明らかに争わないからこれを自白したものと見なされるところ、国税通則法六六条一項によれば、原告の納付すべき無申告加算税額は金二九八万八五〇〇円になる。

従つて、右認定の課税価格及び各納付税額と一致する本件更正及び本件各決定は適法なものということができる。

四  次に原告の反論について検討する。

1  原告はまず、本件更正は、事実認識の変化を前提としないから、国税通則法二六条の要件を満たしておらず、また原告の行政庁に対する信頼を踏みにじる違法なものであると主張する。

しかしながら、右法条は、被告の主張(原告の反論に対する被告の認否、1項)するように、課税の基礎となつた事実の認識が変化した場合のみに適用されるものではなく、右事実の評価、判断を誤つた結果、税額等が過少であることを知つた場合にも適用さるべきことは当然であり、また、被告課税庁が、一旦、国税通則法二五条により決定をなしたからといつて、もはやこれと異なる(再)更正をしないという公の見解を示したわけではなく、仮に納税者がこれを信頼したからといつて、それが保護に値するものとはいえないことは、同法二六条の存在自体から明らかというべきであるから、前記原告の主張は、到底、採用できるものではない。

2  次いで原告は、本件更正は国税通則法九八条二項に規定された、裁決の不利益変更禁止の規定に牴触し、これを前提とする本件更正等も違法であると主張する。しかしながら、同条項所定の不利益変更禁止規定は、あくまでも国税不服審判所長への審査請求に対する裁決主文に対する制約にすぎないものであることは、文言上明らかであるから、被告課税庁がした本件更正が右規定に違反するいわれはなく、原告の右主張は主張自体からして理由がない。

五  以上の次第で、被告の本件課税処分(本件更正、本件各決定)は適法であり、原告の本訴請求はいずれも理由がないのでこれらを棄却することとし、訴訟費用の負担につき行政事件訴訟法七条、民事訴訟法八九条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 加藤義則 裁判官 高橋利文 裁判官 加藤幸雄)

別表

〈省略〉

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